かばんちゃんとサーバルちゃんの二人の関係は尊い…ってだけの話

わかりやすく流行に乗っかり、けものフレンズを見はじめたら案の定ハマった

今日はニコニコ生放送けものフレンズの一挙放送があるけどdアニメストアでもう一回最初から見てたらいろんな感情が押し寄せてきたから

感情の赴くがままの駄文を垂れ流す

当然のごとくネタバレ注意です

 

 

 

10話でサーバルちゃんがかばんちゃんに「(この旅が終わっても)またサバンナに遊びに来てよね」「それか(二人で)一緒に住もうよ」って言い出すシーンで胸が苦しくなる
しかしかばんちゃんはこれをスルー
かばんちゃんの旅の目的は自分が何者なのか?を探すことであり、その先に待ち受けてるのは別れなのだ

そんな関係性の中でセルリアンの危機が迫る11話
海の向こうに陸地があるという旅の目的を発見したあとにも関わらず、海の外に行くための船をセルリアンを倒すために使う作戦を立てるかばんちゃん
皆がさすがかばんちゃんと作戦に乗っかる中、「ダメだよかばんちゃん!その船に乗って外に人を…」と即座に否定するサーバルちゃん

サーバルちゃんがこの中で一番かばんちゃんにパークの外に行ってほしくないと思っているにも関わらずだ
しかしかばんちゃんは覚悟を決めていた

旅の最初の目的よりもパークを守ることを優先した
何気ないシーンだけど、自分のことよりも相手のことを大事にし、

本当にお互いが互いに思い合ってることがわかる
すごくしんみりくる

 

 

話は飛ぶがこの二人を見てふとアメリカの小説家オー・ヘンリーの代表作の「賢者の贈り物」を思い出した
詳しくはwikipediaを見てほしい(https://goo.gl/FE2aWx
大丈夫、短いから1分で読める
一見すると、お互いにすれ違い、懐中時計を吊るす鎖も長い髪を梳かす櫛も無駄になり、本来の目的を失う、
下手したらただのアホな夫婦の話のように捉えてしまうかもしれないが、
この作品ではこの夫婦は、新約聖書でキリスト誕生に対して贈り物を持ってきた聖者よりも最も賢明であると締めている
これはどういう意味かを今から語る

 

誰かのために贈り物を捧げるということは素晴らしいことだが
そのために自分を犠牲にする行為は愚かになりうる、小説の賢者の贈り物でも夫婦は自分たちの宝物を愚かにも自ら手放してしまった
だがある一点において新約聖書の賢者と比較しても美しいと作者のオー・ヘンリーは語る
それは「お互いに相手を思いあった上での行動」という点だ
自己犠牲とはそれ単体だけでは自分勝手な行動であり、ときに傲慢に似た愚かな行為となりうる

だけども、相手を互いに思い愛するゆえの行動は間違いなく美しいのだ
これは新約聖書でキリスト誕生に対して一方的に贈り物をした賢者には持ち合わせてないものであると

 

11話のセルリアンとの戦闘で、ジャパリバスが横転したあと、
サーバルちゃんはすぐにボスとかばんちゃんを放り投げて守り、そのためにセルリアンに飲み込まれた
自分の身のことよりもかばんちゃんのことを思った上のとっさの行動であった
ヒグマはこれ以上犠牲者を出さないためにセルリアンに立ち向かうのはやめろという、これもある意味で聡明な答えである
だけどもかばんちゃんは一人で立ち向かう!そしてサーバルちゃんを救出!
やっぱりかばんちゃんはすっごーい!
だが再び迫りくるセルリアン…
そこでかばんちゃんがとった行動は自己犠牲であった

かばんちゃんの行為は愚かだったのだろうか?という問いがあればみなが口を揃えて言うだろう
そんなことないよ!!
かばんちゃんはすっごいんだよ!!

 

さて、次回が最終話
どうなるかなんてわからないけれど、
きっとサーバルちゃんは、かばんちゃんを思い行動して何かしてくれると予測する
サーバルちゃんを信じろ!

 

いやあけものフレンズは本当にIQが上がるアニメですね…